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男子ソフトテニス部コーチ 外所 道子(22期)
『普遍妥当』我がクラブを紹介します
ソフトテニス部は、昭和37年の開校と同時に創部しました。男子最初の主将を務められたのは、同窓会長である狩野明さんであります。
平成の時代になり「世界に羽ばたく競技」を目指し、軟式庭球はソフトテニスへと名称が変更になりました。当時『日の丸選手を育てるぞ!!』と言いながら体育職員室を出て行かれる柴田耕先生(男子部 監督)の姿が思い出されます。
今ではその言葉通り、篠原秀典(38期生)が全日本入りを果たし、日本のソフトテニス界をリードしている事は関係者一同、喜ばしい思いでおります。
男子部全国大会の主な成績を上げますと、S41年にインターハイ(以下IH)個人戦初出場(清水・仙波)に始まりS54年団体戦初出場(岩佐・高瀬・新井・鈴木・宮崎・輿石・三木・高橋)、昨年は20回目の団体戦出場となりました。S54年の国体で3位入賞(岩佐・鈴木・宮崎・輿石)、S58年佐藤・小島ペアが個人戦準優勝、翌年個人戦3位(鈴木・乾)、S62年沖縄国体5位(相川・小林・鈴木・内田・外所)、H2年個人戦5位(菅家・茂木)、H5年HSJ3位(堀米・角田)、H6年団体戦5位(梅本・笠木・宮田・原田・井伊・小泉)、翌年同じく5位(井伊・田中・山口・桜井・藤巻・村上)、HSJ2位(井伊・田中)、H9年HSJ2位(井伊・相川)、H14年個人戦5位(篠原・福田)、宮城国体単独チームで3位(篠原・福田・吉田・鈴木・向井・塚越)、H15年個人戦5位(萩原・茂木)、この他にも沢山の卒業生が入賞。現在も佐藤広大先生(38期生・数学科)を始めとする方々が群馬県ソフトテニス界をリードされております。
私は、H13年頃から男子部スタッフとして配属をさせて頂きましたが、それ以前に小安智順先生が長年スタッフとしてご尽力を頂き、面白い逸話も生まれたようです。一昔前までは、少数精鋭1学年8名程度でしたが、現在は全学年で50名以上の大所帯になりました。柴田先生は、監督歴38年。全国の中でも大ベテランの域に入りますが、その卓越された采配に尊敬の眼差しを向ける指導者も少なくありません。監督業は自分との戦い、孤独との戦いであると言われますが、それ故にお酒を愛する方が多いのか?本人曰く、「酒が俺を離さない」そうです。
女子部は、現在監督の織茂英則先生(国語科)になるまで数名の監督・顧問が携わっております。柴田先生が赴任したての数年間は男女両方の指導をなされていたようで、当時の楽しい思い出話もお聞きしております。主な全国大会の成績を上げますと、S51年IH個人戦に初出場(塩谷・鳥屋・井田・今井)、S59年IH団体戦初出場(菅家・中嶋・野沢・野村・奥富・奈良・今井・外所)に始まり、S59年菅家・中嶋ペアがIH個人戦優勝、5位(奥富・外所)その年の奈良国体単独チームで準優勝、S60年個人戦3位(奥富・外所)団体3位(奥富・奈良・今井・安東・宮沢・嶋方・尾股・外所)、S61年個人戦3位(今井・小池)、S62年IH団体戦準優勝(国峰・深沢・井艸・細川・佐藤・大山・八木・悴田)、H元年個人戦3位(矢口・唐木沢)となります。
私の監督は、小林邦彦先生(現農大三高)であります。野球部出身の監督らしく情熱と優しさを持ち合わせた方で、コート上では鬼監督との戦いが毎日繰り広げられていました。
思い出の一コマとしては県総体団体戦の日、生徒会副会長だった伊藤勲さん(現農大二高事務職員)率いる生徒会の皆さんが緑の校旗を持ち応援に駆けつけてくださったことです。当時全国的に知られるチームとなっていた事もあり観戦者も多く、その風景はまさに新興農大二高の勢いを見せた場面でもありました。対戦中ではありましたが、恥ずかしさと嬉しさが入り交じった気持ちだったことを覚えています。
その後、小林監督が転勤すると同時に女子部スタッフとして配属させて頂きましたが、部員数も激減するなか、未熟な指導者と共に戦ってくれた部員達の姿が忘れられません。8年ぶりにIH個人戦出場(H11年、福島・小島)を果たし、その後現在の監督が19年ぶりの新人戦団体優勝へと導く事になりましたが、当時の生徒の頑張りが今に至るきっかけになったと感謝しております。
天田稔先生・山澤・入澤・三井先生にご尽力を頂き有り難うございました。現在、部員も増え名物監督になりつつある織茂先生のもと、チーム一丸となり新たな歴史をスタートさせております。
全国的に名の知られている男子チームに女性スタッフが関わる事は余り例のない事であります。農大二高と監督の器の大きさに感謝しつつ、これからも卒業生のお力をお借りして男女共、群馬をリードしていくチームであり続けて欲しいと願っています。
最後に一言『本気で全国優勝をしましょう!!』
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