・2009年度・更新されました

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女子バレー部 前監督
森田 広志

「泥んこドングリ達の舞から・・・・」

 学校創設と同時にバレー部(男女)は創立されたようです。当時の顧問の先生は、斎藤、佐藤(現岸)、二宮(後二高、三高校長)、佐藤精先生が指導されていました。その後女子は1期生の信沢(現鳥羽)先生が昭和44年、45年と指導されました。私は(昭和44年講師)45年に保健体育教諭として奉職し男子を指導、昭和46年より男女の指導が始まりました。
 当時の体育館は、男女(バレー、バスケ、バド、卓球、体操)で使用、バレー部は男女で週3回一面使用可でした。ネットの高さを変えスパイク練習、また片方の高さを男子、もうー方の高さを女子でネットを斜めに張りサーブレシーブ練習をした記憶が残っています。外コートでは、汗と泥と涙の猛練習で、暗くなると100Wの電灯をつけてのトレーニング、そして後片付けでした。男子は思ったより早く良いチームになり、昭和46年二年生(9期)服部(現群馬中央中教諭)、斉藤、石岡らを中心に決勝進出。女子においてはベスト4の壁が厚くベスト8が定席でした。翌昭和47年より男子は角田先生の指導、女子は私が指導することでスタートしました。女子チームは専門の指導者が多く、10期吉田美(現大見川)、11期吉田(現明戸)、小林(現神保)もベスト8、そして12期箱田(現森田)、悴田(現青木)、永田(現高橋)ら有望選手が入部し、13期正満(セッター)を加え、コンビバレーで、昭和50年県総体で初のベスト4に入り関東大会初出場を果たします。また9期生斉藤がコーチとして協力、練習内容(戦術、戦法)も良く理解され、昭和53年15期矢嶋(現高橋)16期清水(現笠原)らを中心に初の県全タイトルを取得、関東大会準決勝(対八王子実践)で激戦の末敗れて第3位、インターハイ予選で優勝し、福島インターハイでエース矢嶋が大活躍します(矢嶋・全国優秀選手)。
 苦しかったすべてが消え、彼女達の笑顔がクシャクシャの涙顔に変わっていく…ああこれで良かったんだ…こんな晴々とした気持ち、こんないい思いを彼女達は私に残してくれたんだ…。
しかし監督とは因果なもので喜びは一瞬、「全国大会をどう戦うか」が脳裏をよぎるものです。初優勝も創部時からの部員達の汗と涙と泥の精神が原点となっていることと思います。
 昭和50年頃より、春夏冬休みを利用して実業団チームへの遠征合宿がスタートし、全国の強豪校との実戦ゲームは技術、精神、友好と全ての面で強化に結びつき良い結果をもたらし、平成6年頃まで続きました。(実業団の体育館、宿舎は冷暖房完備で部員達には好評でした)
 昭和55年新体育館が完成し(外コートも無くなり)週3日は体育館練習でチーム力も上がり、16期清水(現笠原)、17期萩原(清水)、18期治田(現瀬戸)、塚本・姉(現寺田)、19期坂庭(現加藤)達は関東大会出場の常連校になっていました。20期木嶋(現青柳)は久々に決勝進出するが涙をのみ、翌21期の長井(現青山)、塚本・妹と、22期中久根(現市井)、江原(現金子)の下級生両エースの活躍で、宿敵高崎商業を破り秋田インターハイ出場。そして22期に23期桑子(現田中)、24期清水(現戸塚)、棟方(現坂本)らが入り、鳥取国体に出場します。翌25期高橋(現並木)達はベスト4、26期吉岡、27期乾(現佐々木)、丸山(現那須)、割田(現斎藤)、28期大塚(現小林)らは決勝に進出しますが準優勝、しかし丸山は県選抜選手として北海道国体第3位、また全日本ジュニア選手として韓国、ロシア遠征で活躍します。また、大塚も県選抜選手で富山国体に出場し活躍。29期斎藤(現菅原)、横谷(現篠崎)、林、30期竹嶋、富田(現浦野)、追川(現浅倉)、31期根岸(現倉賀野)、真塩ら激戦の末、2年連続決勝戦で桐生西に涙をのみますが、富田は県選抜選手として四国国体に出場活躍します。
 汗と涙と泥んこで、日々監督と勝負した全員が名主役名選手であったと確信しています。そして良き女性、良き母親として元気に活躍していることでしょう。

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